印象に残っていること

印象に残っていることがある。

昔、大学のサークル仲間でよくお酒を飲んでいた。
場所は通っていた大学の近くで、西池袋公園だったと思う。

当時は木が茂っていて、なんだかちょっと薄暗くて鬱蒼とした雰囲気の、陰気な公園だった。

僕たちは近くのコンビニで缶ビールやつまみを買って、そこでよくお酒を飲んだ。
騒いで警察を呼ばれたり、公園に住んでいるホームレスや、通りかかったヤンキーに絡まれた事もある。
朝まで過ごしたことは何十回とある。夜中にそこから実家のある国分寺まで歩いて帰ったこともある。

大概は音楽の話とか、女の子の事とか、そのとき考えている事とかそういうのを意見交換した。
取り留めのないふざけた話や、行き着く先の無いくだらない話をした。

あるとき、いつものようにお酒を飲んでいると、その輪の中にいた先輩(ラオウさんと呼ばれていた)が、個性というものについて語る場面があった(ラオウさんは型破りな先輩で、語るエピソードの多い人だけどここでは省く)。

ラオウさんの説によると、個性というものはXY軸の座標の中で例える事ができるという。
お酒に酔っていたのであまり詳しく覚えていないから、大づかみに説明すると、
この座標軸の中心こそが社会通念上の「普通」(常識人)で、そこから如何にこのセンターの基軸から離れることができるかが、より社会的に際立った人間になれるかどうかの分かれ目だという話だった。
つまり、際立った人間になるには常識人の価値観から解放されなければいけないし、より強力な個を持つ人間はどんな座標方向であれ、センターから遠く遠くへとかけ離れていくはずだと。
このバランスは馬鹿と天才のように紙一重で、例えばガンジーのような偉人はこの座標軸の中でもセンターからは相当かけ離れたところにいただろう、でもだからこそ強烈に他人を動かすことができて、歴史に名を刻むことができたのだ。上に立つ人間は大概頭がおかしい、振り切れている。

僕はその話を「面白い話だな」と思って聞いていた。
どこか聞いたことのあるような話だったけど、神妙に話を聞いている周りの同輩と同じようにふんふん頷いていた。

そして、この話の本筋は「だから俺も突き抜けた生き方をしたい」という結論であり、それを補足説明するための座標軸の話だった。別にXY軸の話が正しいとか正しくないとか、そういうことではない。

でもラオウさんはそんなふんふん頷いている僕をみて、何か勘に触ったのか、「トモヤ、お前は何か違うことを考えていそうだな、何か考えがあれば言ってみろ」と言った。

言われてみると、確かに面白い話だなと僕は思ったけど、少し違和感があった。
僕には全体的に「無い」感覚というか、「僕の話」ではないな、というか。
うまく説明できないながら、なんだかそんな風に思ったことを覚えている。
でもそれが何なのかをその場でうまく説明できなくて、とても悔しい思いをした。

そして何年も経って、今でも何と切り返しをすればよかったのかわからない。
この話は未だに頭にこびりついていて、そのときの事をたまに思い出してしまう。