印象に残っていること2

印象に残っていることがある。

清澄白河から浅草までは隅田川沿いの遊歩道をまっすぐ歩くだけなので、何度も往復して散歩をした。
浅草に着いたところで別に何をするでもないので、人が多い街だなあと思ってただ行って帰って来るだけである。
どこかに向かいながら、その行き着く先に目的がないというのが好きだ。

去年の秋口頃に、浅草寺付近のけばけばしい喧騒から離れて駒形橋を歩いていると、赤帽を被った一人の老人がポリエチレンの凧を持ってきて、橋上から隅田川の空に向けて、凧を風に乗せるべくタコ糸を操っていた。
通行人の多い駒形橋の上で、誰もこの老人に気を留めている様子もなく、そんなに風がある日でもなかったので、おそらくこの老人の試みは上手くいかないだろうと思いながら、脇を通り過ぎた。
だが、僕がそのまま橋を渡り切り、遊歩道を下って、何の気なしに遠めから橋を振り返ってみると、凧はちょうどゆらゆら空に浮かんでいたのだった。
老人は凧揚げの名人であった。

自ずと立ち止まったので、そのまま眺めていた。
その場から老人の表情は見えない。
どんな顔をして凧を揚げているんだろう。
楽しそうだったら良い。
どんな気持ちで凧を揚げているんだろう。
昔を懐かしむような気持ちはないだろうか。
意地になっていないか。
もしくは退屈になっていないか。
そう思いついたら、遠めにふらふらと浮かぶ凧がとても儚く見えてきて、物悲しい気持ちになった。

そのまま元の道に返る。
そういえばインドのバナラシに滞在していたとき、夕方頃になると、無数の凧が街の上空を飛び交っていた。
無数の凧たちは赤い夕陽の中で、風に煽られながら生き物みたいにうようよしていた。
朗らかで悠然たる光景だった。
「この凧の下には僕の知らない沢山のインド人たちがいて、それで空を見上げて凧揚げを楽しんでいるのか」
安宿の屋上で、ビール片手にそんなことを考えながら眺めていたことを思い出した。

夜になると停電が頻発して、ろくに電気もままならない街でのインド人の楽しみは多分凧揚げだった。
僕は有名なガンジス河の朝焼けよりも、この夕暮れの凧揚げの風景の方がよっぽど印象深かった事をさらに思い出して、その日家に帰ったのであった。