歌詞についての四方山話

普段思ったり感じたりした事は何でも手帳やiPhoneのメモ帳に書いていて、それが歌詞につながっていく種になる。
この「感覚を書く」というのは、僕が幼稚園くらいのときから連綿と続けている、数少ない美徳ともいえる習慣である。

誰が何と言おうと、音楽を創るのはしんどい。
それでも僕の場合、最初に曲想を決める、コアになる言葉のイメージを創るのは楽である。
完成したリズムトラックに、書き留めていた言葉のフレーズやイメージをせーので合わせて唄ってみて、その場の即興でメロディを出して固めていくのが曲作りに多いパターンで、先にタイトルだけ決めて、そこから掘り下げて曲を作っていくこともある。

もちろん大枠はそれで決まっても、実際に歌詞を細かく詰めていく作業は非常にしんどくて、言葉を(感覚的に)放り出してみたり、はめ込んでみたり、逃げてみたり、説明的に置いてみたりする。
要は推敲する。

歌詞で頓挫する曲は多い。
というか歌詞以外で曲作りは頓挫しない。
いくら言葉にイメージがあっても楽曲として成立するほどの伸び代がうまく出せなくて、それで失敗するパターンが結構ある。
当たり前だけど歌詞は楽曲の道標なので、これが決まらないということはつまり楽曲の最終的なトーンやアレンジが決まらない。
そのまま無理に推し進めると、非常に不安定なまま固定化されて楽曲がにっちもさっちもいかなくなる。
これは由々しき事態なので、そういうときは早めに諦めて寝かせてしまうに限る。

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人の感情には色んな種類やカラーや局面があって、それは単純な言葉だけだと表面的になってしまって、なかなか説明がつかない。
説明がつかないからこそ、なんとかそれを何かのフォーマットに乗せて表現したいわけで、僕の場合、「じゃあそれを音楽で」という話になる。

要所要所で訪れる気分や感情の類を記録して、後でその感覚の持つ世界や雰囲気を人に伝わるように拡げたり、絞ったりして成型していく。
僕は誰かの感情の受け皿になるような楽曲を創作する事が好きだ。

でも、たまにちょっと誤解されているなあと思うときもあって、それは「夜のジャズ」とか「みんなわかってもらいたい」という類の曲の歌詞について、人から「メッセージ性が強い唄ですね」と言われる事だ。
「メッセージ」という言葉の捉え方一つなのかもしれないけど、僕はあんまり「メッセージ」として語れるほど立派な思想なんて持ち合わせていない。
歌詞に詰まって楽曲を頓挫させるくらいの人間だし、根が非常にいい加減なので、偏屈ではあっても「僕のすべてを受け止めてもらいたいというような情熱的な魂を持った、自分をさらけ出している人」という感じではないと思う。

例えば、「みんなわかってもらいたい」はそれこそタイトルから作っていった曲で、僕の中ではまず『みんなわかってもらいたい』という言葉が持つ佇まいや雰囲気に着想があったから、そこから喚起されるイメージを、感情的というよりかは言葉遊び的に拡げてゆく作業をして作った。
だから、どちらかというと「誰だってそうだよね」みたいな、ゆるくてふわっとした感じでまとめている。
タイトルから連想されるような「これぞロックなんだ!」みたいなそういう激烈なモチベーションで書いていったわけではなかったけれど、それでも確かにこの曲なりのエモーショナルな部分はあるし、どうとでも捉えられるように作ってもいるわけで、中々面倒くさい。

収拾がつかなくなってきた。
とりあえず、僕が思う「良い歌詞の曲」はどんな気分のときでも、どんなようにでも受け止められる、優しくて懐の深いものなので、自分もそういう歌詞を創っていくよう頑張らねば、とそう思った。
いいえ、今日もまたそう思い直したという話。

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