音楽の受け容れ方

僕はいわゆる「いいもの」というのが最初よくわからないことが多い。
きっと自分の性格に保守的でひねくれた部分が多いから、あまり素直に受け容れたくないんだと思う。

初めて出会って聴く音楽や演奏は大概好きにならない。そもそも「聴き方」がよくわからなかったりする。すごい鈍感である。

僕の中で第一印象が「よくわからない」で止まった場合、それはそのまま心の中でうやむやになってしまって、ライブだったら帰り道くらいには忘れてしまう。
だからこれは良くない。

次に第一印象が「良い」場合、それは心の中では「分かりやすくてありがとう、うんうん楽しいよね」に近い感覚になる。
これは満足しているので良い事なのだけれど、ライブだったらその場で満足して、寝て覚めたら大体の事は忘れている。
これが普通だ。

さらに、第一印象で妙な「違和感」を覚えた場合。
「どうやらこれは何か自分と違う視点から形成されているらしい」と思ってもやもやさせられる。
でもまったくわからないわけではないので、心のどこかに引っかかりを感じている事は確かなようだ。
帰り道に考える材料が一つ増えたなと思って、得した気持ちになって帰る。
CDならこの違和感は何だろうと確かめたくなって何度か聴く。
次の日以降も二日酔いのように残ることが多い。

次は違和感以上に「嫌い」だと思った場合。
時々、良くわからないというわけでもなくて、何だか感覚的に合わないなと「強く」感じたりする場合がある。
これはチャンスである。

僕がだいぶ以前に、雑誌のレビューだけを読んでthe verveのアルバムを買って、家で初めて聴いたとき、「ああ、お金を無駄遣いをしてしまった」と後悔した。
ボーカルの声の線は細いし、メロディは馴染めなくてよく分からないし、同じリフレインばっかりだし全然良くないと思ったからである。
完全に失敗した。

でもその後、少ない小遣いをはたいて買ったのだからと我慢しながら聴いているうちに「…でもまあ、アルバムの中でこの曲なら好きかもな」みたいなよすがが生まれ、さらに他の曲も聴いていくことにより「この買い物はそれなりに悪くなかったかもしれない」に変化する。
さらに聴き込むと、「というかさすがレビューで絶賛されているだけの作品ではあるようだ」から「というか最近こればっかり聴いているな」→「ていうか何コレ最高」に到達する。

お分かり頂けたであろうか。
そう、このように「ていうか」が増えるのである!
ではなく、「嫌い」は結構「好き」に近いのである。
(余談だが、ここまで書いてみてまるで恋愛の法則と一緒であることに気づき始め、不毛だなと感じ始めてきた…)

結果的にこのアルバムは大好きになって、相当聴き込んだ作品で、今でもかなり影響を受けている。
最近聴き直したらまた新たな発見があって、やっぱり素晴らしい作品だなと再認識させられた。

考えてみればこういうことは本例に限らず、往々にしてよくある。

僕は直感人間なので、何事も自分の感覚が前に出て決めてしまう事が多いけれど、この「嫌い」という感覚が出たときにはなるべく注意深くしなければならないと気をつけていたりする。
それは好きになる可能性を多いに秘めているからで、好きになれるかもしれないものを嫌いになるなんてまったく勿体無いからである。

話は戻って、音楽を聴く上での第一印象で最上なのはライブやCDが一聴して「素晴らしい」ときである。
これは全く手が付けられない。
違和感があるのにも関わらず、違和を覚えた自分にもわかるよう、その人の表現が伝わる技巧が予め施されているというような感じだ。
具体的にいうと「お、このサウンドいいね」と思って聴き始めたものが、最終的に聴き終わったときに「これは自分の言いたい、聴きたい事を全部やってくれている!」になっているケースである。
これは大正義であり、自分を肯定してくれているような、そういう多幸感を持った「救い」の音楽である。
リスナーにしてみたらきっとこれこそが求めてやまない至高のサウンドであろう。

しかし、音楽をやっている自分からすると、これはまったくの恐怖でもあり、なるべく体験したくない。
その場は舞い上がっても、自分の表現を揺るがされてしまい、さらには自分の存在意義について考えさせられ、強烈な虚無感に襲われるからである(
そのため「素晴らしい」音楽をやる人は嫌悪する事にしている)。

だが、このショックを浴びまくらないと人は成長しないので、そういうときこそ、黙々と自分の事を精一杯やるべきである。
あとはもうたぶん気力の勝負なので下記のような雄大な写真を見て、心を励ますしかないのである。

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「北海道大雪山の様子」

結局やはり物事は何にも思わないことが1番よくない。
これはきっと音楽だけに限った話ではないだろうけれど。