わたしは頼らない

今日の天候はだいぶ暖かくて、これはもうほとんど3月だなと思っていたら、そのとおりもうすぐ3月なわけで、僕はまったく正解した。

道行く主婦が誰かと話していて、雪が降ったのいつだったかしらなどと言っていて、それはきっと1月の事だなと思った。

もうまもなくでガスストーブに頼らなくてもよい季節が始まるのである。

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街を歩いていて3

夕方くらいに雪解けている街を颯爽と歩いていると、近所の動物病院から、首にラッパのようなプラスチックを巻かれたポメラニアンが出てきた。
おや、と思った。

ポメラニアンは綿あめと称されるほどのまるまるフワフワとした毛並みが特徴の快活な小型犬であるが、骨格のせいなのか、それともイヌという生き物の性なのか、いつも笑顔で上機嫌にみえる。
首のプラスチックにまだうまく慣れていないらしく、路上のあちこちにそのラッパをぶつけ振り回しながら、飼い主とともにはっはっと上気しつつ、隣をすれ違っていった。

微笑ましい光景である。
なんだか自転車に乗ったサンバイザー姿のおばちゃん主婦のことを思い出したのであった、恐らく近いものを感じたのだと思うが。

さて、あの保護具。
皆さんもどこかで一度は見かけたことがあると思うが、実はなんと「エリザベスカバー」という名前がある。

あの陽気なポメラニアンとすれ違ったあと、早速気になってしまい、グーグル先生で「犬、ラッパ」と検索したので間違いない。

エリザベスカバー!
まったく大それている。
なんという明日使えるムダ知識。

言い換えるなれば、今日わたしが街角で出会ったイヌとはつまり、エリザベスカバーを装着した状態の陽気なポメラニアン(綿菓子)であったのだ。

…言い換える必要がまったくなかったけれども。
とりあえず日々は続く。
おつかれさま。

過去の記事について

ウェブ周りを絶賛整理中です。

2013年5月以前の記事を非公開としました。
記事のカテゴリーによっても扱いは考えますが、少なくとも「日常」は一年間を目安に非公開にしていきます。

というのも、ブログはリアルタイムで動いていた方が面白いのかなと思ったので。
あんまり以前の記事がありすぎても読みづらいと思うし、まとまりに欠ける気がします。

以後、当ブログはコンパクト且つスレンダーな内容でお届けしたいと思います。

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印象に残っていること4

子供の時、母から事あるごとに「人のためになることをしなさい」と言われたが、当時何度言われてもよく意味がわからなかった。

幼少の頃から無軌道を地で行く性格だったので、そんな僕を見兼ねてそういう有り難い諭しを与えてくれたんだろうなと今になって思う。

しかし、当時の僕は、この言葉の持つ重さにすっかり行き詰まってしまって、「人のためになること」とは果たして何であろうかと考え込んでしまった。

そのうち、あんまり考えすぎて、自分を押し殺すことが人のためになることなんじゃないかと漫然と考えるようになった。
というのも、自分が何もせず黙っておとなしくしていた方が周りはみんな楽しそうで、スムーズにいっているように見えるし、仲良さそうだった。

僕はトラブルメーカーだったから、いつも周りに迷惑ばかり掛けていたし、これはつまりそういう自分を抑えて「我慢せよ、無理せよ」と言われていることと同じ意味なんだなとなんとなく思い知らされたものである。

おそらく小学校高学年のときだったと思うが、担任の先生がホームルームの時間の際に、クラスのみんなに向かって「人のためになることをしなさい」とやっぱり母親と同じような訓示を垂れた。

過敏な反応かもしれないが、その頃の僕の周りの大人は母に限らず、同じようによくこう言ったものだった。
「人のためになることをしなさい」
「周りに優しくしなさい」
「相手の立場を考えて行動しなさい」

この類の問題は小学生の僕にはとても難しかったし、今から考えても、そのどれもが一生かかるくらいに難しいと思っていることばかりである。

そして、ここで肝心なのは、当時その努力は誰からも認められていなかったが、当時の僕も僕なりに「自分は人のために役立つ人間にならなければいけない」と意味がわからぬままに盲信し、もがいていたことである。

話は戻って、それでまあ、クラスの連中は神妙に聞いているふうだった。
小学生だから、「はーい!」とかそんな感じである。

先生は続けた。
「えー、人のためになることをするのはとても良いことですが、それができない人は自分の好きなことをやりましょう。なぜならそれは周り巡って人のためになるからです。」

この言葉を聞いた時に、僕はとてもホッとしたことを覚えている。

人の為の事は難しいけど、自分の好きなことをやって良いのなら、自分はそっちの方が向いていると思ったのだった。
好きなことだったらうまくできる気がしたし、自分のやりたいことをやって、それが他人のためになるなんて一石二鳥だと思った。
先生はなんと良いことを教えてくれたのだろう。

どうして自分のやりたいことが人のためになるのか、その理屈はよくわからなかったが、子供ながらなんとなくその言い草の含むところはわかった。
そして極端に言って、そのとき別に理屈は大して大事ではなかったのである。
とりあえず僕は好きなことをやってよいのだから、それで充分であった。

その後、「では自分にとって好きな事って一体何だろう…」という至上命題に悩むハメになることは、そのとき知る由もなかったが。(永遠に続く)

※※※

と、まあここまで徒然と書いてみたものの、極々ありふれたことをなんとも勿体つけて書いたもんだと我ながら思えたので、ブログにはアップすることなく、「下書き」フォルダにしまい込んでおいた。

しかし、今日になってふと、この「印象に残っていること」シリーズ第四弾の草稿を思い出し、改めて読み直してみて、感じるところがあった。
それを補足として追記した上で、アップすることとする。

※※※

それは、この印象シリーズに通底することかもしれないが、「何が自分の記憶となっているか」ということである。

多くの芸術家が、創造力は過去の記憶から生まれると言及しているが、これはまったくその通りかもしれない。

実際のところ、僕は「人のためになることをしなさい」ということ以外にも沢山のことを忠言され続けてきているはずである。
これはいい事を聞いたなと思って、頭の中で何度も繰り返してみたり、よしそれを書き留めておこうと思ってノートに書き留めておいた経験は幾度となくある。
だが、そんなふうに日々色々と刻まれていく言葉は沢山あるが、どうやら結果的にみると、様々な淘汰が自分内回路によってなされていって、結局、骨肉のように自分に「馴染む」というか、必然的に「残る」言葉というのがあるようだ。
逆にいうと、いくら言われてもすっぽ抜けていく言葉、無視されていく言葉もある。

当たり前のことを言っているかもしれないが、それはおそらく、それぞれの人が或る同じ体験をしても、同じ言葉を投げ掛けられても、決して同じ風には残らないだろう。
体験とその言葉は、それぞれの人それぞれにそれぞれらしく残っていくのである。

言ってしまえば、僕の中には「人のためになることをしなさい」という言葉が残ったのである。
というよりも、その言葉が残りやすい基質(気質)が根源的にあった。
なぜその言葉だったのかはわからないが。

誤解を恐れず踏み込むと、この回路的事実こそが僕の個性そのものであり、感覚の源泉なんじゃないかなと思う。

…さらにムダに一歩進めて。

そうなると、自分の母はそれを見越して僕に物事をあれこれ諭してくれていたわけでもあって、これはもう最終的に納めようとすると、まるでかの人は僕にとって預言者のごときお方であった、さすが母君様、ということになってしまう。
なるほど、こうして(何かが間違っているが)母親偉大論というのは日々強靭に発展を遂げてゆくのだなというのがわかった。

さて、僕の母は今月還暦を迎える。

がんばれ元気

都知事選の前日、都内で珍しく積もるほどの雪が降った。
朝からずっと降っていて、夕方くらいには外もだいぶ暗くて、場所によるだろうけど大体10cmくらいは積もっていたように思う。

その日は一日部屋にいたが、どうしても外に出ないとならない用事があり、おかげで気が進まなかったけど、雪の少ない東京で大雪の中を歩くことができるのも一年中で今日くらいだろうと思い直すと、気持ちもうまく切り替わってくれてなんだかワクワクしながら表へ出た。

雪が降ると街はとても静かである。
が、雪道は深く、険しい。
おまけに滑る。

僕はスニーカーとジーンズのいつもの格好で外を出たことを即座に後悔したけども、他に履くものも着るものもなかったのでどのみち後悔のしようがないのであった。

いく道すがら、むかし福島の祖父母宅に帰省した際、やはり雪の日があって外に出られなかったとき、家の中で一人で昼寝していたら雪女の夢を見てとても怖かったことなどを思い出す。

近所の表通りに出ると、大型トラックが立ち往生などしているのを見かけたりして、少し難儀な様子であった。

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用事を終えて帰路につくと、用事を終えて気持ちが高揚したせいか、目の前をテンポ良く歩きたくなった。
雪道は脚を取られるからなかなか思うように歩けない。
その様はゴミ屋敷などの、物が捨て置かれた乱雑な部屋の中を行くが如しである。

これがどうにも嫌なわけで、さっさと先を進みたい。
こちらは既に用事を終えているし、なんならもう雪に飽きてきているのである。

それで、周りに人がいないのを良いことにふと走ってみた。

ほっほっほ、とそれはさながら「がんばれ元気」のようであった。

魚を焼きながら

黒坂正二郎氏から年始のご挨拶に京都一の傳の西京漬を頂いたので、今更ながらキッチンでそれを調理しつつ米を炊き、YouTubeでアップされている大瀧詠一さんのラジオアーカイブを聴いていた。
昨年の訃報から一ヶ月経ち、表立った活動は30年近くしていなかった人にも関わらず、まだまだ多くの方からのコメントや追悼が続いている。

思えば自分も一月は大瀧さんのことばかり考えていたなあなどと振り返り、僕は彼の音楽から一体何をこんなに沢山考えられる要素を見出したのだろう、そしてそれはなんて有り難いことなんだろうなどと移ろいながら考えていた。

自分の中で感情のトリガーになるものはそんなに多くない。

最近も相変わらず音楽よりアニメーションに感動を覚えることの方が多いし、そもそも感動すること自体少なくなった。
これにはバイオリズムというか、周期的なサイクルのようなものがあると思うけれど。

そういう中で、何かずっと一定期間以上に頭の中に欠落感があったり、妙にこびりつくものがあったりするというのはやっぱり特別なことだ。

どこか自分に足りていないものが誰かの何かによってすっぽり補填されて充たされていたのかもしれないし、もしかすると、嬉しいとか悲しいとかそういう一個人的なものを超えていく感情なのかもしれない。

本当に一体これは何なんだろうね。
魚は美味しかったです。

明日は節分。
皆さん、ちゃんと豆撒きして福を呼び寄せて下さいませ。