印象に残っていること4

子供の時、母から事あるごとに「人のためになることをしなさい」と言われたが、当時何度言われてもよく意味がわからなかった。

幼少の頃から無軌道を地で行く性格だったので、そんな僕を見兼ねてそういう有り難い諭しを与えてくれたんだろうなと今になって思う。

しかし、当時の僕は、この言葉の持つ重さにすっかり行き詰まってしまって、「人のためになること」とは果たして何であろうかと考え込んでしまった。

そのうち、あんまり考えすぎて、自分を押し殺すことが人のためになることなんじゃないかと漫然と考えるようになった。
というのも、自分が何もせず黙っておとなしくしていた方が周りはみんな楽しそうで、スムーズにいっているように見えるし、仲良さそうだった。

僕はトラブルメーカーだったから、いつも周りに迷惑ばかり掛けていたし、これはつまりそういう自分を抑えて「我慢せよ、無理せよ」と言われていることと同じ意味なんだなとなんとなく思い知らされたものである。

おそらく小学校高学年のときだったと思うが、担任の先生がホームルームの時間の際に、クラスのみんなに向かって「人のためになることをしなさい」とやっぱり母親と同じような訓示を垂れた。

過敏な反応かもしれないが、その頃の僕の周りの大人は母に限らず、同じようによくこう言ったものだった。
「人のためになることをしなさい」
「周りに優しくしなさい」
「相手の立場を考えて行動しなさい」

この類の問題は小学生の僕にはとても難しかったし、今から考えても、そのどれもが一生かかるくらいに難しいと思っていることばかりである。

そして、ここで肝心なのは、当時その努力は誰からも認められていなかったが、当時の僕も僕なりに「自分は人のために役立つ人間にならなければいけない」と意味がわからぬままに盲信し、もがいていたことである。

話は戻って、それでまあ、クラスの連中は神妙に聞いているふうだった。
小学生だから、「はーい!」とかそんな感じである。

先生は続けた。
「えー、人のためになることをするのはとても良いことですが、それができない人は自分の好きなことをやりましょう。なぜならそれは周り巡って人のためになるからです。」

この言葉を聞いた時に、僕はとてもホッとしたことを覚えている。

人の為の事は難しいけど、自分の好きなことをやって良いのなら、自分はそっちの方が向いていると思ったのだった。
好きなことだったらうまくできる気がしたし、自分のやりたいことをやって、それが他人のためになるなんて一石二鳥だと思った。
先生はなんと良いことを教えてくれたのだろう。

どうして自分のやりたいことが人のためになるのか、その理屈はよくわからなかったが、子供ながらなんとなくその言い草の含むところはわかった。
そして極端に言って、そのとき別に理屈は大して大事ではなかったのである。
とりあえず僕は好きなことをやってよいのだから、それで充分であった。

その後、「では自分にとって好きな事って一体何だろう…」という至上命題に悩むハメになることは、そのとき知る由もなかったが。(永遠に続く)

※※※

と、まあここまで徒然と書いてみたものの、極々ありふれたことをなんとも勿体つけて書いたもんだと我ながら思えたので、ブログにはアップすることなく、「下書き」フォルダにしまい込んでおいた。

しかし、今日になってふと、この「印象に残っていること」シリーズ第四弾の草稿を思い出し、改めて読み直してみて、感じるところがあった。
それを補足として追記した上で、アップすることとする。

※※※

それは、この印象シリーズに通底することかもしれないが、「何が自分の記憶となっているか」ということである。

多くの芸術家が、創造力は過去の記憶から生まれると言及しているが、これはまったくその通りかもしれない。

実際のところ、僕は「人のためになることをしなさい」ということ以外にも沢山のことを忠言され続けてきているはずである。
これはいい事を聞いたなと思って、頭の中で何度も繰り返してみたり、よしそれを書き留めておこうと思ってノートに書き留めておいた経験は幾度となくある。
だが、そんなふうに日々色々と刻まれていく言葉は沢山あるが、どうやら結果的にみると、様々な淘汰が自分内回路によってなされていって、結局、骨肉のように自分に「馴染む」というか、必然的に「残る」言葉というのがあるようだ。
逆にいうと、いくら言われてもすっぽ抜けていく言葉、無視されていく言葉もある。

当たり前のことを言っているかもしれないが、それはおそらく、それぞれの人が或る同じ体験をしても、同じ言葉を投げ掛けられても、決して同じ風には残らないだろう。
体験とその言葉は、それぞれの人それぞれにそれぞれらしく残っていくのである。

言ってしまえば、僕の中には「人のためになることをしなさい」という言葉が残ったのである。
というよりも、その言葉が残りやすい基質(気質)が根源的にあった。
なぜその言葉だったのかはわからないが。

誤解を恐れず踏み込むと、この回路的事実こそが僕の個性そのものであり、感覚の源泉なんじゃないかなと思う。

…さらにムダに一歩進めて。

そうなると、自分の母はそれを見越して僕に物事をあれこれ諭してくれていたわけでもあって、これはもう最終的に納めようとすると、まるでかの人は僕にとって預言者のごときお方であった、さすが母君様、ということになってしまう。
なるほど、こうして(何かが間違っているが)母親偉大論というのは日々強靭に発展を遂げてゆくのだなというのがわかった。

さて、僕の母は今月還暦を迎える。